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聖コスマと聖ダミアノ兄弟殉教者  St. Cosmas et St. Damianus Mart.  記念日 9月 26日


 西暦303年2月24日、聖会に対する最も残忍な迫害者と言われるローマ皇帝ディオクレチアヌスは、突然詔勅礼を出して国中のキリスト教会礼拝堂を焼き払い、その信徒は直ぐさま棄教せよと厳命した。
 これより先40年間は、別に弾圧らしい事もなく、カトリックは隆盛に赴くばかりで、上流名士、宮廷の人々にも信ずる者多く、聖堂の数も著しく増加するという風であったから、今この疾風迅雷的な禁教令に接しては、一人として寝耳に水の驚きを感じない者はなかった。
 かくてまず迫害の火蓋は、帝都ニコメヂアの存する小アジア地方から切って放たれたが、本日記念する聖コスマ及び聖ダミアノ両兄弟も、その時に殉教致命した人々の仲間であった。
 この二人はアラビアのさる名家の子と生まれ、母テオダクにより立派な教育を授けられると共に、また深い信仰をも培われた。長じて後は兄弟いずれも医を業とし、ただ病苦に悩む人を救うばかりでなく、貧しい者は無量で診療してやるなど、仁術の本領を発揮した。そして患者の肉体より霊魂を一層大切にし、彼らが迷妄の闇を逃れ出て真理の光に向かうよう、及ぶ限りの力を尽くしたが、天主もこの博愛の医師をよみし給うたのか、薬によらずその祈祷のみで難病の全治した奇蹟も一再ならず起こったのである。
 されば彼らの慈善や親切の評判は日に日に高くなり、その恩を受けた多くの人々は勿論、一般世人にも敬愛され賞賛されたが、また一方カトリックを嫌い、その好評を妬む者に憎まれたのも詮方ない次第であった。それでディオクレチアヌス皇帝禁教令が下るや、間もなくコスマとダミアノは捕らえられ、小アジアの南部なるシリシア州エゲアの総督リヂアスの前に引かれさまざまの責め苦拷問にかけられて棄教を迫られた。しかしもとより信仰堅固な兄弟の事とて、そうした非道な要求に従うべき筈がない、きっぱりとそれを拒絶したのである。
 ここに於いて総督はもうこれまでと死刑の宣告を下し、二人の首を刎ねさせたが、この世に於いても幾多の人を助けた聖兄弟は、栄えある殉教後は天国からひとしお霊肉の悩みに苦しむ者や同信の兄弟姉妹に霊験豊かな助力を下し、生前にもまして人々の尊敬と信頼とを勝ち得るに至った。
 今その証拠として一、二の例を挙げれば、両殉教者の帰天後約百年を経て、ユスチアノ皇帝がコンスタンチノープルに壮麗な聖堂を建立して彼等に献げた如き、また教皇フェリクス4世が、両聖人の為ローマに今なお残る大聖堂を建て、その祭壇上にモザイクの鹿を置き、これに黄金の大文字で「この大理石もて築かれし美麗なる天主の聖堂は、殉教の栄冠を勝ち得し二人の聖医によりて更に光彩陸離たり」と記し、なおミサ典文中聖変化前偉大な殉教者の取り次ぎを願うくだりに、コスマ及びダミアノの名を加えた如き、いずれも彼等に対する敬慕の念の現れならぬはない。彼等は今や医師薬剤師達の保護の聖人と仰がれている。

教訓

 医は仁術と言われるが、生前も死後も人々の霊肉の救いに努めた聖殉教者コスマ及びダミアノ兄弟のように、この言葉に適った医師は少ないであろう。我等はたとえ医を業とせぬにしても、その博愛の精神だけは十分に見習い、機会ある毎に霊魂上慈善の業を行い、ミサ聖祭、御聖体拝領、わけても祈祷と犠牲という良薬を以て、人々の霊魂に超自然的の活力をもたらすよう努めようではないか。